教師の退職金の額を知って、目が醒めた。

セカンドキャリアを構築する

38年間の報酬

あなたは、自身の退職金の額を知っていますか?

 

仮に大学を卒業してすぐに教師になったとして、22歳から60歳までの38年間働き続けた労を、お金に換算したらどうなるか、知りたいとは思いませんか?

 

もちろん、教師の財産は給与や退職金だけではありません。

 

私は、教師を続けることによって得られる大切なものを知っています。それは、次の2点です。

 

交通費5千円

1つは「人間性の向上」です。

 

私は、自分が甘く、愚かで、さしたる能力もないことを十分に知っています。そんな私が横道にも逸れず、なんとか50歳過ぎまでやってこられたのは、間違いなく「教師という職業に就いていたから」です。

 

実は大学4年の頃、不動産会社の求人説明会に参加したことがありました。当時はいわゆる「バブル」の終わり頃でしたが、まだまだ「超売り手市場」で、都内の私立大学文学に籍を置く私に対して、半年で段ボール2箱近くの求人関係資料が送られてきたものです。

 

その時の私は教師になるつもりでしたが、興味半分にその会社の求人説明会に参加することにしました。私が心惹かれたのは、もちろん「初任給の高さ」です。求人票には確か、「30万円」と書いてあったように思います。

 

「・・・30万!?」

 

新卒で30万円という給料は、私にとっては夢のような金額でした。私はお金につられて、その会社の求人説明会に参加することにしたのです(笑)。

 

会場は、新宿のとあるホテルの一室でした。ふかふかのじゅうたんにシャンデリア。200名は入ろうかという広さの部屋に、7割程度の大学生。各席にはケーキが置いてあり、説明が始まると同時に、ホテルマンが紅茶をカップに注いで回ります。

 

説明会が終わり、帰宅しようとする学生に、会社の担当者が告げました。

 

「本日の交通費を支給しますので、受付で受け取ってお帰りください。」

 

私を含めた全員に、茶封筒が渡されました。中身を確認すると・・・しわのない5千円札が。

 

私は思わず、封筒を手渡してくれた担当者に言いました。

 

「これ、いただいてよろしいんですか? 私は今日、地下鉄で来ましたが、片道の料金は210円でした。」

 

担当者は笑顔で、「構いませんよ。」

 

・・・・・・これが、バブルです。

当時、私がアルバイトで得ていた時給は、570円でした。5千円は大金です。私は恐縮しながらも、「こんな世界もあるのか」といった驚きに包まれながら、会場を後にしました。

 

それから3年後、ようやく採用試験に合格した私は公立高校の教員になったわけですが、もちろん、その時点でバブルは弾け飛んでしまっていました。もしあの時、私がその不動産会社で働くことになったら、どうなっていたでしょう? きっと、バブルが続いていようと弾けていようと、私は金銭的価値を追求し続けていたに違いありません。新宿の会社に通うために郊外のワンルームに住み、毎日満員電車に揺られ、自社不動産が売れた売れないで一喜一憂し、ノルマと対人関係で大きな課題を抱えたまま消耗しきっていたことと思います。

 

このケースに限らず、いわゆる虚飾や利益を追い求めざるを得ない世界に生きていたとしたら、きっと私は早い段階で人生の本質を見失っていたと、はっきりと思います。私は「甘く、愚かで、さしたる能力もない人間」ですから。

 

そんな私は、教師として採用してもらったおかげで、少なくとも表面的には嘘偽りの言えない日々を送ることができました。教師自身が最低限きちんとしていなければ、生徒に接することは不可能です。生徒の気持ちを鼓舞するに足る人間であるために、私は私なりの努力をしてきたと思います。「人間性の成長」は、教師にとって最大の財産であると言えるでしょう。

 

教師の自負は、生徒の記憶の中に

 

財産の2つ目は、「生徒を育てたという自負」です。

 

先にも述べた通り、私は至らない人間であるため、「生徒を育てた」と言えるようなことはしていません。ただ、面白いもので、こちらにその気がなくても、先方が私との関係性について「何か」を感じてくれたことはありました。

 

多くはその生徒が卒業後にわかることですが、あの日あの時、こういう場面で、先生はこんな風に言っていましたね、と言われることがあります。言われたこちらとしてはそのことをしっかり覚えていて「そうだったね」と相槌が打てればまだいい方ですが、「・・・そんなことあったっけ?」と返してしまうことの方が多いくらいでした。私が何気なくかけた言葉一つを、生徒はよく覚えてくれています。

 

この、「こちらが予期せぬ影響を与えている事実」は、予期していない分だけ、私たち教師にとってとても重要です。このような契機に出くわすたびに、私は「言葉の重み」を感じます。「あの時、どんな意図でその言葉を選んだのか?」それについて考えざるを得ないからです。逆に、こちらが入念に準備して伝えた言葉や行動については、こちらが思うほど生徒が感じてくれてはいないと思っています。こんな時、意思疎通の難しさを身に染みて感じます。

 

ただ、「教師の歴史」は「時間を共にした生徒の歴史」でもあることについては、変わりありません。ベテランと言われる年齢に至り、生徒と良い関係を築けるようになったのは、若かったころの失敗が(つまり、私との関係において「犠牲」になった生徒の存在が)生かされているからです。彼らのためにも、私たち教師は注意深く言葉と行動を選び、彼らを鼓舞し、私たちの働きかけを彼らに覚えておいてもらわなければなりません。「私たちの自負」は、生徒の記憶の中にあるのです

 

このように、教師にとっての財産は、給与や退職金といった金銭面にのみあるのではありません。とは言え・・・気になりますよね(笑)? お金は価値判断の尺度として今なお力を持っているし、私たち教師自身も、退職後の道筋を思い描く材料として無視できないことですから。

 

退職金を比較してみました

さて、長らくお待たせしました!

 

私は50歳の時、所属する都道府県教育庁の福利課に、自身の退職金の額を文書申請してみました。ちなみに、私は「3回分」の試算を依頼しています。1つは50歳の時。つまり、申請時における退職金の額です。2つ目は、55歳。そして3つめは、60歳で定年退職した場合でした。

 

理由は、差額が知りたかったからです。

 

私は「辞める時期によって、どれくらいの差額が生じるのか」について、知りたいと思っていました。私自身、学校以外の広い世界を見てみたい、より多くの人にいい影響を与えてからこの世を去りたいという思いがあり、可能なら勧奨退職をしたいと願っていました。ならば、先を読むのは当然です。将来の見通しを知ったうえで対策を立てようと思ったわけです。

 

教育庁に申請後、しばらくしたら文書が届きました。A4が2枚です。

 

退職手当の試算について(回答)

 

平成30年〇月〇日付けでご依頼のありました標記について、下記の通り回答します。

 

試算

  • 平成31年(注:令和元年)3月31日付け勧奨退職の場合

退職時年齢 51歳

退職手当額 19,853,164円―――A

 

  • 平成35年(同:令和5年)3月31日付け勧奨退職の場合

退職時年齢 55歳

退職手当額 21,833,968円―――B

 

  • 平成40年(同:令和10年)3月31日付け定年退職の場合

退職時年齢 60歳

退職手当額 22,332,811円―――C

 

 

・・・さて、あなたが想像したとおりだったでしょうか?

 

実際の受取額は、ぐっと減ります(悲)。回答文書には、こうあります。

 

3 留意点

  • 退職手当から控除される金額について

退職手当支払いの際は、住民税の残税、退職手当に課税される国税・地方税等が、

あらかじめ引かれます。

 

 

「公務員は長く勤めてなんぼ」、と言うけれど

では、差額を見ていきます。

 

B-A=1,980,804円

C-B= 498,843円

 

わかっていたこととは言え、この減り方には驚きです。

 

年齢とともに「支給率」は上がりますが、一方で「基準となる給料月額」の下降が著しいため、結果的に総額は下がります。特に、55歳以降の「給料月額」の低下が激しくなっています。

 

さて、あなたはこの結果をどのように受け止めますか?

 

C-A=2,479,647円ですから、今私が退職した場合は、定年退職時に比べて250万円ほど少ない額しかもらえないということになります。一方で、55歳で退職した場合、今辞めた場合よりも200万円ほど多くもらえますが、それ以降、60歳まで勤める金銭的なメリットはないと言っていいでしょう。5年間で50万円の差額です。セカンドキャリアを見据えた動きを視野に入れている人であれば、1年で10万円以上の副収入を得るための方法を実践するはずです。

 

もちろん、教員を辞めてしまえば定収入も途絶えます。しかし、私たちはここで考える必要があるのです。

 

「老後2千万円」の虚しさ

私たちは、定収入を得るために教師の仕事を定年まで続ける必要がある。

60歳まで勤め上げれば、10年早くリタイアするより250万円も退職金が上乗せされる。

だったら、この仕事を辞める必然性はない。

 

確かにそうでしょう。2019年6月に金融庁が出した報告書では「長寿化によって会社を定年退職した後の人生が延びるため、95歳まで生きるには夫婦で約2千万円の金融資産の取り崩しが必要になる」との試算がなされました。そしてこの報告書を受けて、巷間では多様な資産形成の在り方が議論されています。もし、私が退職金を満額もらえるのであれば、金融庁の提言に対する対策は、クリアということになるでしょう。

 

しかし、私にとって、「老後2千万円問題」は、空疎な響きでしかありません。この提言は、「政府が国民の面倒をみるのをやめた」と、憤りを以って捉えることもできますし、「個人の自立が求められる時代になった」と、今まで以上に主体性を伴った行動を求められるようになったと捉えることもできます。

 

1つ言えることは、「私には正解はわからない」という点です。ですから、私は一般的な「金融資産形成に向けた動き」はしないつもりです。私が仮にそれをやったとしても、多くの人の真似事に過ぎない。ならば、得られる結果は見えています。わずかばかりのお金を得て、老後を汲々として過ごす。そんな人生は御免です。

 

大した人間ではないからこそ、やる価値がある

今、多くの人が「未来は、個人の信用自体が価値を持つ時代になる」と言っています。従来の「お金」という価値基準はなくなり、個人の信用がそのまま資産価値を持つという考え方です。類書は巷間に溢れていますが、もしそうであるなら、私はそういった社会の到来を歓迎します。

 

私は現在、正確には数年前からですが、個人の力と信用を伸ばすために日々の生活を方向づけてきました。理由は明白です。

 

・それが時代の流れだから。

・それが私の価値観に合っているから。

 

この2点です。私は「甘く、愚かで、さしたる能力もない」人間です。だからこそ、自分を磨くしかない。幸い、私には「正しいことを、効果的に実行したい」という気持ちが幼い頃からあって、今も消えません(笑)。この気持ちが、今の私を駆り立てています。時を同じくして、日本社会の在り方も大きく変わろうとしています。人間関係の在り方についてはかなり細かくなってきていて、少し過敏すぎる点も見られますが、それでも以前のように「そういうものでしょ」といった雰囲気に支配されるだけの状況は、明らかに変わりつつあります。すべてにおいて真摯な対応が求められ、言葉を尽くすことの大切さが求められています。私は論理に疎い人間ですが、真摯な振る舞いによって理解を得るしかないか、と思いながら日々を過ごしています。

 

あなたがこの世に生を受けた理由を知りたい

話を戻しましょう。

 

あなたが今の私と同じ年齢なら、250万円上乗せされた退職金を待ちながら、あと10年間、教師として働き続けますか? 答えはイエス? 当然ですよね。教師は魅力的な仕事ですから。多くの生徒の成長に立ち会うことができて、食べていくのに困らない金銭をもらえる。これで文句を言っていたら、バチが当たります。

 

しかし、私はあえて言います。

 

「頭が柔軟で、体に自由が利くうちに学校を離れたい」

「仕事だけでなく、家庭での役割を果たすことで喜びを得たい」

「せっかく人間として生まれた以上、広い世界を知ってこの世を去りたい」

「学校現場で解決できなかった問題を解決したい」

「生徒だけでなく、様々な立場や世代の人たちをサポートしたい」

「自分が好きでたまらないことをセカンドキャリアに位置付けたい」

「自分の力を求めている人たちの力になりたい」

 

私には、この世に生を受けているうちに、やりたいことがたくさんある。

それを実現するには、教師の給料を捨ててもいいだけの、経済的自立を図る必要がある。

 

それは何か?

どうすれば可能になるのか?

 

実現を可能にするアイディアを、出し続けることです。教師の仕事と、家庭での役割を果たすこととパラレルで。

 

3つを同時進行で考えることによって、それぞれが相互に干渉し始めます。そして、相乗効果をもたらします。あるアイディアが、他方面でも生かされるようになります。そうやって、好循環が流れていきます。

 

安定した収入と、250万円の上乗せ。

一方で、

すべての責任を引き受けて、この世に生を受けた意味をかみしめる。

 

「もちろん前者ですよね」と言いたくなる気持ちを抑えて、頑張りましょう(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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