ウィルス禍を学校変革の機会に

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皆さんこんばんは角松利己です!

 

今日は、「3週間の臨時休校措置が取られた県立高校に勤務する一教員」としての提言です。

 

 

授業準備と情報交換でにぎわう教務室

今日(4/19)の時点で、3週間のうちの1週間が過ぎました。この1週間で私が勤務時間中にしたことは、教材研究ではありません。生徒がいない中での教材研究なんて、とてもやる気にはなれませんでした。

 

そんな私とは違い、同僚の多くは、ここぞとばかりに教材研究に余念がありません。プリントを作る、パワーポイントのスライドを作る、授業のポイントをまとめる・・・・・・。素晴らしい姿勢です。こんな同僚たちに本校のシステムは支えられているんですね。

 

とは言え、私が現場に対して本当に求めていることは、授業準備に腐心することではありません。もちろん、コロナウィルスの動向を追いかけ、ネットニュースに花を咲かせることでもないのです。そうではなく、「今、やるべきこと」があるんです。

 

 

残る2週間での「選択と集中」

 今回の新型コロナウィルスの影響は甚大で、学校現場も例外ではありません。生徒不在の中、教師がなすべきことについて選択と集中が迫られていると感じます。

 

この状況下での個々の教師の動きとして、以下の3点は必須です。

 

 

「あっちだ!」と叫べ

一つ目は、校長として考えることです。臨時休校措置の波は何回かやって来る可能性があります。臨時休校明けの社会状況を見て、感染拡大の傾向が続いていると判断されれば、再度、休校です。抗体の発見やワクチンが開発され市販されるに至るまでには、ある程度の時間が必要と言われている中、教師は教材研究のような「個人の仕事」を進めている場合ではありません。いつ来るかわからない臨時休校措置を想定し、アイディアを出し続けることが求められます。

 

個人の仕事をいったん脇に置いた教師は、「校長として」思考しなければなりません。決定権や裁量がなくても、思考することは可能です。

 

校長は、学校組織のリーダーです。その仕事は、「ビジョンを打ち出し、かじ取りをすること」。仲間とともにジャングルに分け入り、仲間がジャングルを切り拓いていく傍らで自身は木に登り、はるか遠くを見つめながら「あっちだ!」と声を出すことが、リーダーの役割です。

 

すべての教師が校長として思考すれば、嫌でも「ジャングルの全体像」を把握する必要が出てきます。多くの「出口」がある中で、どの出口が自校の利益に適うのか、出口までの最短ルートはどこか、そのルートに潜む「敵」は何か、その敵には立ち向かうべきか回避すべきか、道を切り開く仲間に必要な支援は何か・・・。それを、一教師であるあなたが考えるんです。

 

あなたは普段、このような視点で物事を捉えたことがないのかもしれません。ですが、今は「学校という組織の歯車」として働くのではなく、普段いる領域から抜け出し、学校を正しい方向に導くリーダーの一人として振舞うことが求められます。校長のように、すべての教師が全体の利益を考えたうえでアイディアを出してみてください。

 

 

「最もニーズが高い力」を手に入れろ

二つ目は、オンラインの仕組みを整えることです。ウィルスの影響の長期化は、従来の学校の在り方を根底から変えます。この機会にオンライン化のスキルに習熟し、いつでも生徒に働きかけられるようにしておくことが必要です。

 

「生徒のいない学校で得られた、2つの問いかけとその解答。」の記事でも触れましたが、学校にとって、教師にとって、生徒は「顧客」でした。彼らがいないと、教師は何もできません。授業という商品を店頭に並べても、それを(無条件で)買ってくれる顧客は、誤解を恐れずに言えば「超優良顧客」です。そんな顧客を失った学校は、いずれ店をたたむしかなくなるでしょう。

 

数年前に、ホリエモンこと堀江貴文氏と、現筑波大学学長補佐の落合陽一氏との対談記事を目にしたことがあります。その対談では、「学校は30年後にはなくなるのではないか。仮に制度としては残っても、現状をほとんどとどめていないだろう。」というやりとりがあったように記憶しています。当時の私は20年以上学校現場に身を置いた人間として、「ほぼ間違いなく、現在のような学校はなくなるか、支持されなくなるだろう。」と感じました。

 

バーチャルリアリティどころではありません。VRは、多くの人たちにとって「現実世界に匹敵するほどの存在価値」を持っています。オンライン上の世界は無限に存在し、個人の嗜好を満たしてくれる世界の取捨選択は自由です。少子化による人口減少と長寿高齢化、日本のような物質的不足を感じさせない社会においては、「どのように生きたか」に最上位の価値が与えられます。学歴信仰の空虚化も拍車をかけます。いつの日か、子どもたちは(少なくとも「社会で成功する」という観点においては)学校を捨てるでしょう。

 

さて、ウィルス感染の危険性が高く、生徒が登校できていない現状において、学校はほぼ機能していません。課題プリントのファイルをHPにアップして閲覧するように促すことが関の山です。はるか以前からオンライン授業の仕組みを取り入れていた一部先進校では、自校の教師がオンラインで授業動画を送ったり、民間の学習支援ツールを利用しながら学力維持に努めていたりしていますが、その他の多くの学校ではそこまでいっていません。

 

教師はこの臨時休校期間中、教材研究をしたり情報収集に努めたりしている場合ではありません。「次に生徒に配るプリントの準備」なんて、前日で十分に対応できる話です。また、ひとたび都道府県教委の通達が出れば、学校独自の対応策など簡単に吹っ飛んでしまいます(この点は、非常に不満です)。

 

私たち教師は、次の臨時休校の波に備えて、「学習支援のオンライン化」に向けた準備に専念すべきです。生徒不在の今、時間は十分にあります。どんな支援策が可能なのか、そもそも、世間ではどんな支援ツール・サービスが受け入れられているのか、そういったことを考えましょう。

 

「オンライン化」の学びは、あなたが教師を続けていても続けていなくても、これから先ずっとあなたを助けてくれます。

 

 

ラクすることを考えよう。そして、教師に自由を。

ここで、ポイントが2つあります。それは「費用対効果」と「ハードルの撤去」という問題です。

 

まず、「費用対効果」の視点は絶対に忘れてはいけません。「費用」というと、すぐに「金銭的負担」をイメージしてしまいがちですが、そうではありません。「金銭的負担」を含んだ、サービス導入にあたってのすべてのコストです。

 

たとえば、「オンライン授業をしよう。本校の生徒にはリアルタイムのオンライン授業が最も効果が見込めるはずだ」。そのように意見が一致して、実際に走り出したとします。しかし、想像以上に手間がかかったとしたらどうでしょうか。50分の授業動画を撮影するために、それ以上の準備時間が必要になるとしたら、あなたはオンライン授業に踏み切れますか?

 

私なら、「NO」です。理想を追うのは好きですが、現実との兼ね合いを忘れてはいけません。学校という場は「合理性」という概念から縁遠いとされていますが、「合理性」は不可欠です。「少ない労力で、最大の効果を上げる」。こういった思いがあるから、人類は進歩してきたんです。ラクをして大きな成果を上げることに抵抗のある教師は、今後は淘汰されるでしょう。

 

2つ目のポイントは、「ハードルの撤去」です。たとえば外出が容易ではない現状において、ネット上で提供される価値が肥大化しています。買い物だけでなく、学習する、趣味の世界に浸る、運動する。日々の営みのすべてが、モニターの中にあるわけです。

 

ところで、私の勤務する高校では、自身のPCでYouTubeを観ることができません。そればかりか、授業関連のちょっとした調べものをしようと思っても、すぐに閲覧制限がかかってしまいます。閲覧できるようにリクエストを出したことがあるんですが、「閲覧したいサイトアドレスを、その都度管理職経由で教育委員会に連絡してください」と言われ、「だったらいいや」と投げたことがあります。その時は、「短歌の解釈」についての調べものでした。このレベルでの閲覧制限は、枚挙にいとまがありません。

 

似たようなケースで、「アプリの導入制限」もあります。いわゆる「管理者権限によるアクセス」で、それぞれの学校内で情報管理の役割が与えられた特定の教師に依頼して、許可を得たのちに「アクセスキー」を打ち込んでもらい、やっと該当アプリのインストールが可能になるというものです。

 

私は少し前に、現代文の授業に「マインドマップ」が使えないかと思案したことがあります。論旨を追う上で考慮すべき観点が多い評論を扱っていた時ですが、「マインドマップによる情報の整理と視覚化」に有効性を感じていました。自宅で作成した「論旨マップ」を学校で開き、印刷して生徒に配布しようと思っていましたが、専用のアプリがないと開けません。私がなすべきは上記手続きを踏むことでしたが、その時点で学校への期待は失せていました。

 

学校で使用するPCに様々な制限がかかる理由については、改めて触れる必要もないでしょう。しかし、「使えないことによる不利益」は圧倒的に大きいはずです。勤務時間中に校務と関係のない動画を見る職員がいたり、ネットウィルスを持ち込んだ職員がいたりすれば、教育委員会や第三者機関がチェックして懲戒を与えればいい。「一部の問題が表面化したことで全体に制限をかける」といったやり方は旧態依然であり、支持されない考え方です。

 

 

すべてのスタートは、教師を「捨てる」こと

三つ目、これが最も高いハードルですが、あなたが教師を「捨てる」ことです。具体的には、「チャレンジすること」を意味しています。

 

教師は保守的な職業の最たるもの。公立学校の教師は実質的な(給与や待遇に関わる)評価を受けることなく、人に頭を下げることなく(形式的に下げる人はいくらでもいますが)、常に「評価」をするばかりで、生産性を考慮しない。私たちのチャレンジは、こういった前提条件の自覚の上に成り立っているんです。その上、もしチャレンジさえもしないようになったら、教師とは単に「知識の切り売りだけで職を得ている向上心のない大人」に過ぎません。その知識ですら、googleの足元にも及ばないわけです。

 

生徒のいない学校は完全にイレギュラーな状態にあります。ならば、この事態への対応はイレギュラーであっていい。従来の学校や教師の価値観を脇に置き、どうしたら合理的で効果的な働きかけができるのか考え、行動に移す。いつも通りの仕事に終始したり、次の登校日の段取りを手抜かりのないように検討することではありません。都道府県教委よりも先を読み、しかもプランにこだわらず、最善の方法を追い求めながら変化し対応する。

 

ウィルス禍は、学校変革の機会です。行動しましょう。

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