最短・最速・着実に生徒と人間関係を構築する方法は、敬語を使うこと。

仕事で成功する

皆さんこんばんは角松利己です。

 

皆さん、角松敏生、いいですよ。

「昭和のグルーヴ」に乗っちゃってください(笑)。

利己は、利他
角松利己 これは、本名ではありません。 あなたは、「角松敏生」を知っていますか?  私が20歳で彼の音楽に初めて出会って、ちょうど〇十年経ちました。 とても長い間、彼の音楽を聴き続けてきたわけですが、...

 

 

 

さて、皆さんは普段、生徒とどんな風に接していますか?

 

今回は、

生徒に対して礼儀正しく接すると、いいことあるよ

というお話です。

 

 

高校教師生活17年目にして、中学生を相手に気づいたこと。

私は教師になってから何年もの間、生徒に対して敬語を使うことはありませんでした。

それは、自身がそういった文化の中で育ってきたからです。

 

しかし、転機がありました。

 

それは42歳の時、公立の中高一貫校に異動したことがきっかけでした。

 

 

生徒は入学時、当たり前ですが「中1」です。ついこの前までは「小6」だったわけです。

体も小さく、表情も幼く、行動は輪をかけて幼い(笑)。

 

私はそれまでの16年間、ずっと「高校生」ばかりを相手にしてきました。

彼らは、半分「大人」です。自分のスタイルを貫き、精いっぱい、大人になるプロセスに向き合っていたわけです。

 

そんな生徒と接してきた私が、ある日を境に「中1」です。すごいですよね。

 

 

しかし、中学生年代の彼らと接していく中で、私自身が変わらなければいけないことを痛感したのは事実です。

 

そのメリットは、少なからずありました。

 

些細なことかもしれませんが、クラス担任を務めた時は、教室内の掲示物の貼り方、色紙の使い方、見やすさの工夫などについて工夫する機会を与えられ、そのことが「クラスの雰囲気づくり」に貢献することを実感しました。

 

そして、「敬語」です。

 

幼い彼らに対して、「お前さ」とか、名字の呼び捨てはご法度。

「ご法度」と言っても、学校内部での規則があったわけではありません。

「成長過程にある、思春期の子どもを相手にしているんだから、いざという時に頼ってもらえるように、普段から相手を尊重している姿勢をみせなくては」という思いがあったからです。もちろん、他の高校籍の同僚も、同じように丁寧な言葉づかいで生徒に接していました。

 

 

時を経て異動があり、再び高校現場へ。

 

しかし、高校に戻っても、私は「元」には戻りませんでした

 

つまり、生徒には基本的に敬語で接したわけです。

 

 

これは、教師としての私に大きな収穫をもたらしました

 

それは、

 

・いつも冷静でいられる。

・生徒と親しくなれる。

・生徒に安心感を与えることができる。

・自分を好きになる。

 

という「収穫」でした。

 

 

敬語を使えば、冷静になれる。

生徒の言動に触れていると、時折、「そのまま聞き流せない時」がありますよね?

 

たとえば、

 

・生徒の問題行動に遭遇したとき。

・友達や同僚の教師に対する非難めいた言葉を聞いたとき。

・差別にかかわるような言葉を聞いたとき。

・深刻な話につながる示唆がうかがえたとき。

・勘違いをしていると感じたとき。

・いわゆる「タメ口」で話しかけてくるとき。

 

などです。

 

そして、これらに対しては、「叱り口調」になったり、逆に砕けた表現を使ったりすることが、一般的な対応かなと思います。

 

でも、そのあとがうまく続かない。

 

「叱り口調」でも「砕けた表現でのやりとり」でも、それはきっと、対応する教師の不安の反映だと思います

 

そんな時、敬語でやりとりをすると、最後まで冷静に対処することができます。

 

 

敬語を使えば、生徒と仲良しに。

次に、生徒と親しくなれます。

 

前述したケースではなく、たとえば授業時や廊下での通常のやりとりでも、敬語は効果を発揮します。

 

なぜかというと、これは私の場合だけなのかもしれませんが、「敬語を使うと、生徒に話しかけやすくなる」といった効果が見込めるからです。

 

今までの私は、生徒の名字を呼び捨てにするか、「おい」の一声で話し始めていました。私の教師としての小さなプライドや、「フランクな言葉かけの方が、生徒との親密な感じを演出できる」といった、変な自意識が影響していたのだと思います。

 

これが、敬語を使って生徒に呼びかけた場合、私自身の感じ方がまるで変わってきたのです。

 

まず、声のトーンが変わります。

「おい、A」ではなく、「Aくーん」です(笑)。

 

語尾が伸びて、明るい印象で生徒に臨むことができる。

 

この効果は絶大でした。

声のトーンは私の表情をやわらげ、それが生徒にも伝わって、両者の間にあった垣根を取り払います。以前にぶつかったことのある生徒相手であっても、一瞬で、笑顔になれる。

 

大人の何倍も寛容な生徒だからこそ、こういったことが可能になります。

 

 

あなたは、常に周囲に影響力を放っている。

さらに、生徒に安心感を与えることにもつながります。

 

授業もクラスも、ある意味、教師にとっての「王国」です。教師自身には、そのような自覚が永遠に必要なのですが、「慣れ」というものは本当に恐ろしいもので、ちょっと油断するとすぐに「王国」が復活してしまうものです。

 

個々の生徒は、教師の言葉が自分に対して向けられたものでなくても、常に注意を払っています。友人が叱られたら、同様の要因を作らないように心に留めたりします。逆に、友人が褒められていても同じです。個々の生徒は教師一人一人の価値観を不断に内在化し、無用なトラブルを回避したり、賞賛につながる僅かな要素を探索したりするものです。親に対する態度と変わりません。

 

「たった一人の生徒に対するあなたの言動が、他のすべての生徒のあなたに対する態度を決める。」

 

という言葉が、『7つの習慣 人格主義の回復』という本に書いてあります。

 

たった一人の生徒、その生徒にどのように接するかによって、教師である私たちの評価が決まってしまうわけです。いい加減な扱いしかしないのであれば、「きっとあの先生は、私に対しても同様の扱いをするだろう」と思ってしまう。そのことを、私たち教師は常に肝に銘じなくてはなりません。

 

あなたがたった一人の生徒の頼みごとを面倒だと思わず、あるいは言い訳に最後まで耳を傾け、次につながるように気持ちよく応じていれば、あなたに対する生徒の評価はあなたの想像以上に高まるでしょう。敬語を使うことで、生徒の安心感はぐっと高まります。

 

よく、生徒の言っていることが真実かどうか、鎌をかけたり、あら捜しをしたりする教師を見かけることがありますが、一利なしです。「真実かどうか」自体は、価値としてはそれほど高くありません。にもかかわらず教師が生徒を追及するのは、明らかにマウンティングでしかない。短期的な勝ち負けしか見えていないわけです。そうでなければ、「真実を言わせることが教師としての自身の力の誇示になる」といった勘違いです。

 

それよりも重要なのは、

「信頼関係の構築につながっているかどうか」

です。

 

 

生徒を大切に扱う教師は、自分のことを、もっと好きになる。

そして、最後の効能。

敬語は、「それを使うあなたが、あなた自身を好きになる力」を備えています。

 

前述したように、あなたが生徒に対して敬語を使い続けることで、

 

・常に冷静でいられ

・生徒と親しくなることができ

・安心感に包まれた関係を創り出すことができます。

 

 

長年この仕事をやってきて思うのですが、

 

「教師の成功は、生徒といい関係が築けたかどうかにかかっている。」

 

と言っていいでしょう。

 

それは、生徒に好かれることではありません。

 

私にとっての「成功」とは、

 

「生徒に信頼されること」

 

です。

 

 

私自身、強がりでもなんでもなく、

 

「生徒に好かれたい」

 

とは、微塵も思いません。

 

 

・・・いや、それは言いすぎでしたね(笑)。

嫌われるよりは、好かれたほうが嬉しいに決まってます。

 

実際、生徒といつも気さくに、敬語も全くなしで、それでいて楽しそうに会話をしている、しかもそんな会話を2時間も3時間も続けることができる同僚教師を、何人か見てきました。

 

私はとても羨ましかったし、自分もそうなりたいと思った。

 

でも、違いました。

 

仮に表面的にであっても、生徒と仲良く接することは、私にとっては無理でした。残念ながら、教師は生徒に対して、何らかの強制力を行使しなければならない立場にあるからです。普段はフランクに接し、問題が起きた時には立場上の接し方しかできない、といった振舞い方は、私には受け入れることが非常に困難でした。こんなところも、「俺、教師に向いてないな」と感じさせる点なんですよね。だから今、こうして自分の考えを整理しているんです。

 

 

ただ、やはり「生徒に好かれること」の優先順位は、今の私にとっては極めて低いと言えます。最優先事項は、「生徒から信頼されること」なんです。

 

 

こちらが容認できない何らかの行為を生徒がした場合、その生徒が、

「〇〇先生がそう言うなら、私が悪かったのかもしれない。」

と、少しでも感じてもらえるかどうか。それがカギになります。

 

 

また、これも仮にですが、私自身に関する根も葉もない噂が広まった場合、

「〇〇先生に限って、そんなことはないだろう。」

と生徒が感じてくれるかどうかも、一つの尺度です。

 

 

同僚教師に対しても、このスタンスは変わりません。

 

「〇〇はあまり好きではないけれど、信頼できる。」

 

とか、

 

「さすがにあいつはそこまではしないはずだ。」

 

と思ってもらえれば、私の中では十分です。

 

 

 

生徒に対して敬語で接することで、大きなメリットが受け取れます。

しかし最大のメリットは、

 

結果として

「生徒からの信頼感を獲得でき、教師としての自信があふれるようになる」

点にあります。

 

だから敬語を使うんです。

 

 

人間関係の本質

ところで、私は普段から「起業系メルマガ」を結構たくさん購読しているんですが、

その中から今回は、Kiraさんのメルマガを紹介しますね。今回のテーマにぴったりの内容です。

 

 

“お金持ちがファストフードの店員に超丁寧に接するたった1つの理由“

店のレベルにかかわらず、お金持ちの方は店員さんにも丁寧に接するのですが、

店のレベルが下に行けば行くほど、丁寧さも反比例して良くなっていきます。

 

それは、

「不快感を回避するため」

です。

 

お金持ちは「商品を安価で提供する店が必然的にサービスを下げざるを得ないこと」を知っているからこそ、自分から丁寧に接することで、店員に丁寧な接客をさせているということなんです。

 

もしあなたがお客様から超丁寧に接されたら、いつもより良いサービスをしたくなってしまいますよね?

 

店員だから、客だからとかそんな独りよがりな考えはやめて、

良いサービスを受けようと思ったら、まず自分からGiveすることも大事だということですね。

 

 

 

いかがですか?

 

人間関係の本質を語っているような感じがしませんでしたか?

 

私が敬語で生徒に話しかけるとき、

 

・お互い笑顔で話に入ることができ、

・多くの生徒が最後までこちらの話を聞いてくれ、

・過去にぶつかった生徒はその過去を水に流してくれ、

・普段は話を聞かない生徒が話を聞いてくれ、

 

それが蓄積されると、

大事な場面で、必ず効いてきます。

 

 

信頼を失うのは一瞬のことなので、言葉遣いに気は抜けません。

でも、相手を尊重しながら接することで、

「生徒も教師である私自身も、良くなってるな」

という感じは、はっきりと実感できます。

 

生徒に敬語を使う。

生徒と一緒に、教師も大人になりましょう。

 

 

 

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