挫折が成功に変わるまで

私のストーリー

ある教師の挫折

教師になって23年。私は途方に暮れていました

 

高校の国語教師として採用されて以来、教科指導の力を磨いてきました。

新採用時は毎朝8:00に職員室に入り、20:00に職員室を出ていました。

中学校の時しか経験のない野球部の第4顧問としての仕事は監督任せ。

放課後から退勤時までの4時間は、会議がなければほぼ教材研究に充てていました。

実際、そこまでしなければ、自信を持って生徒の前に立つことができなかったのです。

 

「生徒から信頼されたい。」

「生徒の学習意欲を喚起したい。」

 

そういった思いだけで、ひたすら知識を吸収することや関連する雑学を身につけること、

指導方法を磨くことに時間を使ってきました。

 

このように言うと聞こえはいいですが、心の中では、

 

「生徒から尊敬されたい。」

「これだけ生徒のことを思ってやっているんだから、 生徒は行動で応えるべきだ。」

 

と、不遜な思いに囚われていたのです。

 

そして、結果はどうだったか。

 

部活動指導をしない若手教師は、部員たちから愛想を尽かされました。

 

生徒の考えを汲み取らないクラス経営は破綻し、生徒はよそよそしい態度をとるようになりました。

立ち話をする機会があっても、こちらが長く話そうとすると、ある程度でさっと打ち切るのです。

 

新卒5年が過ぎた頃、私は教師として大きな挫折と敗北を感じていました。

 

「私は人として、何かが足りない。」

 

そう、真剣に考え始めるようになりました。

 

利益を生まない組織

それから、18年が経ち、私は48歳になっていました。

 

この間、卒業生を3回出し、23年という教師生活を積み重ねてきましたが、

 

「私は人として、何かが足りない。」という思いをずっと抱いたままでした。

 

さらに、自身の教師としての資質だけでなく、

長年の教師生活の中で、多くの疑問点が浮かんできたのです。

 

教師生活を成功させるには、何が必要か?

そもそも、教師の「成功」とは何を指しているのか?

教師の取り組みは、生徒の人生に寄与しているのか?

教師は、何を生み出しているのか?

 

こういった疑問です。

 

教師は、管理職にでもならない限り、ずっと「一教師」のままです。

よって、長い人は新卒以降38年間にわたり、一教師のままで、生徒に教え続けることになります。

 

ところで、

公立学校という場は、何かを達成する義務がありません。

進学実績にせよ、部活動の大会成績にせよ、到達目標はあっても、達成義務はないのです。

生徒が志望校に進学できなかったからといって、

あるいは大会上位常連チームがとれるはずのベスト4を逃したからといって

教師や学校が責任をとることはありません。給与に影響することもありません。

 

そして、教える対象である生徒は毎年入れ替わります。

つまり、教師は変わらなくても、特に問題はないのです。

 

「利益を生む必要がない。」という点では、学校生活のすべてがそうだと言えるでしょう。

 

毎年、同じ問題を取り上げて話す。

勤務先が変わっても変わらなくても、イチから話がスタートします。

書類や業務の引き継ぎもあったりなかったりです。

 

利益を生む必要がない。

 

だから、教師は変わらなくていい。システムも、変えなくていい。

生徒が毎年入れ替わるから。

 

ある意味、生徒も教師も、常に「フレッシュ」な気持ちでいられるから。

 

48歳の私は、自身の何らかの人間的な欠如を抱えたまま、

人間的成長の機会を奪われた環境の中で、

にもかかわらず生徒を未来に導かなければならない使命感の中で、

立ちすくんでしまいました。

 

「このまま、教師を続けられるのか?」

「生徒に、正しい未来を示せているか?」

「仕事は楽しいか?」

 

自問自答の日々が続きました。

 

ゼネラリストか、スペシャリストか

「仕事が楽しくない」のには、理由がありました。

 

一つは、仕事への貢献度の問題です。

 

私には、「スペシャリティ」がありません。「専門性」と言い換えてもいいでしょう。

 

志望校に生徒を合格させるための秘訣。

部活動で生徒を常勝チームに導く秘訣。

職員同士を組織的にまとめる秘訣。

 

教師が学校で成功するには、3つの柱の1つがあればいい。

しかし、私は何一つスペシャリティを持っていなかったのです。

 

「ゼネラリスト」として成功しよう!という道も考えました。

教師の仕事は、「何でも屋」であるとも言えます。

教科の授業、部活動指導、校務分掌、保護者との折衝、クラス経営・・・・・・。

そのすべてにおいて、「平均点」以上を求められます。

 

「どんな学校へ異動しても、その場に適応し、使える人間になろう。」

「〇〇さんに聞けば、教えてくれる。そう言われるようになろう。」

 

しかし、それだけは私が避けたいことでした。

 

なぜか?

 

「ゼネラリスト」は、使えないからです。

 

「すべてにおいてほどほどできる」、ということは、「何もできない」ことを意味します。

成果も上げられず、達成感も持てない。単なる「便利な人」で終わってしまう。

 

私は「便利屋」と呼ばれる人は、一般社会では淘汰されると思っています。

 

しかし残念なことに、教師としてキャリアを積む過程で、

多くの教師が無意識のうちにゼネラリストを目指すようになります。

 

それと同時に、表情も冴えなくなっていく。

「大過なく、定年まで勤め上げればそれでいい。」

心の中で、そう思い始めるのです。

 

私は、焦りました。

 

手あたり次第

そんな私がやったことは、

 

28歳の時に大型自動車の免許を取得、

35歳の時に大学院に内地留学して心理学を学んだこと、

36歳の時にサッカー審判養成のスクールに通ったことです。

 

大型自動車免許の取得は、「何か部活動指導で貢献できないか?」と思ったからでした。

 

高校以上で部活動経験のない私は、新卒当時、少なくない高校で、運動部顧問が大型バスを運転し、

練習試合や公式戦における選手の送迎をしていたことを目にしていました。

 

そこで、平日の夜や休日に自動車学校に通い、

ひと月くらいかけて大型自動車免許を取得したのです。

 

結局、その資格は2校目以降の勤務校で生き、

外部ドライバーに委託するよりもずっと安い料金負担で生徒を送迎することができました。

部活指導ができない私が、最初に役割を見出した時でした。

 

30歳で2校目に異動した私は、サッカー部顧問を任されることになります。

もちろん、未経験です。30歳にして、生まれて初めてサッカーボールを蹴りました。

 

しかし、当時一緒に部顧問を務めていた同僚講師が生き生きとしながら生徒に教えている様子を見て

私も、「ドライバー以上の貢献がしたい!」と欲が出たのです。

 

そこで思いついたのが、サッカー審判を務めることでした。

 

体力をつけ、ルールを覚え、まず3級資格を取得。

 

練習内容の指導はできないものの、試合のたびに審判やドライバーを務めることで

少しずつ教師としての自信がついてきました。

 

そんな中、「全国で初めてのサッカー審判養成プログラム」開講という情報を聞き、

迷わず応募したのが「レフェリー・スクール」というものでした。

 

気がかりだったのは、年齢制限です。

当時の私は、36歳。スクールの対象年齢は、18歳から35歳まででした。

 

しかし、当時大学院に内地留学した2年目で、

修士論文を書く以外、時間的にゆとりがあった私は、「今しかない!」と思いました。

 

その結果、何とかスクールに入れてもらい、

以降、ひと月に1日、土曜に100km以上離れた研修施設に講義を聴きに行き、

翌日曜に審判として実戦経験を積んだのです。

 

サッカー未経験者の私は、ゲームの展開や選手の心理に疎く、

試合では選手からジャッジに関する抗議を受けました。

 

「どこ見てるんだよ!」

 

高校生・大学生プレーヤーからのこんな言葉を聞くたびに自信を失いつつも、

信頼を得るために何ができるのかを考えながらジャッジを続けることで、

試合終了時に得られた充実感は忘れることができません。

 

審判業務も主審ではなく、副審か4th専任でしたが、

大学の地区別ブロックレベルの試合まで経験させてもらい

さらに大きな自信につながっていったことを覚えています。

 

その後は51歳の現在に至るまで、26年間の教員経験の中で

実に17年間にわたってサッカー部顧問を務めることになりました。

 

最後は、大学院への内地留学です。

 

レフェリースクール入校の時期とは前後しますが、

「どうしても生徒の心が知りたい!」

と以前から強い思いを抱いていた私は

2校目で卒業生を出したことを機に、現場を離れて心理学を学ぼうと決意しました。

 

「私には、人として何かが足りない。」

 

新卒時からずっと頭から離れなかった問題を解決したいという思いからでした。

 

大学院では、臨床心理士を目指す人たちと同じ研究室の中で、

彼らとできるだけ同じ授業を取ることで、きっとカウンセリングの力もつけられると思いながら、

何より、「人の心の仕組みを知りたい」といった昔からの関心を満たすことができました。

 

私は高校時代、唯一赤点を取った科目があります。

それは、「確率統計」です。

 

当時の大学入試共通一次試験(以降のセンター試験)でも、

選択問題としての「確率統計」を自動的に外していたため、

点数は最初から見込めるものではありませんでした。

 

ところで、心理学は「統計学」です。

 

アンケートデータを蓄積し、成分を分析し、統計処理をかけて傾向をつかむ。

 

統計的な考え方が圧倒的に苦手な私にとって

データをどのような方向性で分析するのか、知りたい結果を得るための統計手法はどれが適切か、

論文を書くために必要かつ基本的な考え方が私にはなかったのです。

 

それでも、わからないながら関連書籍を何冊も買い込んで読み、

得意な人からアドバイスを受けながら、一応、論文を形にすることができました。

 

高校時代、最も苦手だった分野を36歳で学び直すことになるとは思っていなかった私は、

「人生って、こういう側面を持つものなんだ」と、感慨深く思いました。

 

内地留学の2年間は、「人の気持ちって何だろう?」といった、

幼少期からの疑問を追求できる、大変貴重な場でした。

 

こうして、私は新採用から11年経った当時、少しばかりの自信を得て、再び現場に戻ったのです。

 

すべてが無駄だった!?

ところが、現実は甘くありませんでした。

 

現場に戻った私は、ある高校で4年間勤務した後、中高一貫校へ異動になりました。

 

そこで、生まれて初めて、中学校の先生の苦労を思い知ることになるのです。

 

その学校は新設されて2年目の、新しい学校でした。

すでにある高校の校舎を譲り受け、全く新しいシステムの中で

一から進学校を作る、というものだったのです。

 

1学年3クラス・120名の定員に対して、市内全域にある50以上の小学校から、

様々な生徒が入学してきました。

 

私は赴任して1年目から、中2の1期生の担任を任されました。

 

私はサッカー審判や心理学を学んだ経験を活かし、

生徒の心をしっかりとつかむつもりで臨んだのです。

 

しかし、彼らは思春期真っ盛り。

 

私の思い通りにことが進むこともなく、

ある時、クラスの数人の女子と関係をこじらせて、クラス経営に行き詰まってしまいました

 

その頃は、クラスの生徒が転学したり、20:00を過ぎてからの保護者面談などもあり、

仕事の疲れと、生徒に受け入れられていないストレスで、

一時期は、学校に行くのも億劫だった頃がありました

 

「私には、人を引きつける魅力がない。」

「生徒から支持される専門性もない。」

「大学院で知識を学んでも、実際に生かせない。」

 

自身の力のなさを、呪いました。

25歳で教師になって、ちょうど20年。私はすでに、45歳になっていました。

 

20年後の出会い

45歳で、当時私が担任をしていた生徒たちが高等部に上がりました。いわゆる「高1」です。

 

それまでの2年間で、私なりに生徒との関係を築くことができていたため、

仕事の忙しさやストレスの面では、ちょうど一息つけていた頃です。

 

私は、保留にしていた「何か」を

ずっと探し続けていました。

 

あとひと月で47歳を迎えようとする12月初旬、

私は立ち読みをするために市内の書店をブラブラとしていました。

 

そこで偶然手に取った本を読み始めた私は、その内容に夢中になり、

1時間ほど立ち読みをした結果、読み切れなかったその本を購入し、家に持ち帰ったのです。

 

その本が、

『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』

でした。

 

私は自己啓発関連の本を読むのが好きで、若いころから数十冊読み漁ってきました。

課題にぶつかるたびに、対処方法を探していたのです。

 

しかし、多くの場合、自分の心を慰めて終わってしまい、何の改善にもなりませんでした。

 

しかし『7つの習慣』は理想を掲げるだけでなく、

人間心理にも通じ、きわめて現実的で、実践的な内容でした。

 

偶然は、さらに続きました。

 

当時、私が購読していたいくつかのメールマガジンに、

『7つの習慣』の個人向け研修会を開催できる、

協会認定ファシリテーターを育成する案内を目にしたのです。

 

とてもタイムリーな出来事に、「今しかない」と思った私は、

すぐに研修会参加の申し込みをして、年が明けた3月から3か月間の研修を受けることにしたのです。

 

研修プログラムを終えた私は、『7つの習慣』の内容を、一応ですが

「人に教えられる」レベルになったことで、一定レベルの理解まで深められ、以降は、

その本に書かれた「原則」に従って言動するようにセルフ・コントロールを始めました。

 

当時、47歳と3か月。

 

この日から、私の生き方が、大きく変わることになります。

 

変化は進化

その日から、何かが少しずつ変わっていきました。

 

現在51歳になる私ですが、

その研修会に参加してから、次のことを継続するよう努力しています。

 

✔職員室には勤務開始の遅くとも30分前に入る。

✔その30分で、当日の仕事の見通しを立てる。

✔時間を厳守し、チャイムと同時に授業を始める。

✔生徒の入退室は、自由。その際に、理由を聞けば問題なし。

✔授業では、可能な限り生徒間の交流を図る。

✔寝ていても、おしゃべりしていても、他の生徒に影響がなければそのままにする。

✔チャイムと同時に授業を終える。

✔クラスに関係なく、生徒の良い行いについて実名を挙げて紹介する。

✔生徒の個人的な悪い行いは、決して取り上げない。

✔社会問題を取り上げ、生徒に見解を求める。

✔その見解を友人間で交換させる。

✔タイマーを設定し、一定の時間内で結論を出させる。

✔脱線を歓迎する。

✔仕事をしている姿を生徒に見せる。昼食時も、清掃時も。

✔部活動は、自分がまず楽しむ。

✔表面的なことは評価しない。本質に近づく言動を評価する。

✔生徒の考えを聞く。指示を抑える。

✔仕事がなければ、定時に帰る。

✔授業がなければ、年休を取って帰る。

✔生徒や同僚からの依頼には、すぐに応える。自分の仕事は後回しにする。

✔自分の仕事は早めに片付けておく。

✔誰から話しかけられても、仕事の手を止め、その人の方を向く。

✔相手の話を遮らない。

✔世間話には加わらない。

✔メモを同僚や生徒に渡すときは、日時と署名を入れる。

✔生徒を放送で呼び出さない。

✔試験日のひと月前に、定期テストの問題を作っておく。

✔自身で決めたその日のノルマを果たす。

✔ノルマの最上位は、仕事ではなく、自己研鑽に関すること。

✔職場にいても、家のことを考える。

✔家にいても、仕事のことを考える。

✔業務改善プランをためておく。

✔思いついたことは、すぐにメモを取る。

 

私が、自分自身に課したルールはこうです。

 

学校外でも使える汎用性の高いスキルを身につける。

学校内では自身が最も生き生きと取り組めることに専念する。

 

できるだけ学校にいないようにする。

誰に対しても誠実に振る舞う。

最優先事項をすべてに優先する。

自分の強みにフォーカスする。弱みは捨てる。

 

その結果、どうなったか?

 

 

まず、ほぼ定時で帰れるようになりました。

 

新採用時は20:00まで教材研究。

その後も20年にわたり、雑務を終わらせるために19:00まで学校に残る。

そんな生活と別れることになりました。

 

定時で帰れるのは、一つには、仕事に集中しているから。

もう一つは、先を見ているからです。

 

勤務開始の30分前に来て、その日の仕事に目を通し、

同僚や生徒への連絡事項を朝のうちに終わらせておきます。

 

依頼のあった仕事や締切の近い仕事をまず終わらせます。

 

空き時間で、教材研究を進めておきます。

以前は、生徒から何を質問されてもいいように、単元の読み込みに加えて、

単元に関する周辺知識を完全なものにしたい、という気持ちがありました。

 

しかし、今は最低限の読み込みしかしません。

それは、私がキャリアを積んだからでもありますが、それ以上に大切な理由があります。

 

私は、生徒と一緒に問題を考えることにしたのです。

 

質問にすぐに答えることは、生徒の成長にも、教師自身の成長にもつながりません。

 

その場で様々な可能性を考えながら、

カオスの先にある「考える喜び」を味わうことにしたのです。

 

正解に到達すること自体に、大きな意味はありません。

生徒が考えることに重きを置くようにしました。

 

結果、授業後の休み時間も、授業中に未解決だった問題に関して

生徒が意見交換する姿をよく見るようになりました。

 

同僚との雑談は、自分からはしません。

職員室の片隅で笑い声が聞こえても、加わることはありません。

世間話に混じっても、仕事は終わりません。

 

その代わり、誰であっても、話しかけられたら仕事の手を休め、

その人の方を向いて、最後まで話を聞くことを心掛けています。

 

人に対して、誠実に接するのです。

そして、自分の仕事に対しても。

これを徹底します。

 

すると、面白いように時間が生まれてきます。

その時間を使って、インプットをします。

興味のある本を読み、アイディアをメモして、蓄積していきます。

 

ただし、現在の私にとっての情報源は、学校教育関連書籍ではありません。

そんな本をいくら読んでも、その時々の時流に少し乗れるくらいで

時間が経てば、使えなくなるものばかりです。

 

学校を捨てる

私のアイディアの源は、「ビジネス書籍」です。

『7つの習慣』を皮切りに、それからはビジネス書籍ばかり読む日々を過ごすようになりました。

 

ビジネス書籍は、利益を生むことを前提に書かれています。

いかに効果的に、最小限の労力で、最大限の収穫を得られるかフォーカスされています。

 

仕事や人間関係の本質に触れ、汎用性が高く、現実社会にぴったりマッチしています。

 

日本の学校のあり方は、保守の最たるものだと思いますが、

ビジネス書から得られるアイディアを蓄積していくと

学校での仕事のあり方が、どんどん変わっていくのです。

 

学校での仕事が、今よりもずっと効率よく進み、

人間関係の築き方が効果的になり、改善に向けたアイディアが面白いように思いつく。

 

楽しいと思いませんか?

 

ビジネス書は、効果的な仕事への取り組みだけでなく、対人関係の築き方へのヒントも豊富です。

 

私は表面的なスキルについて考えるよりも、本質的で普遍的な考え方をする方が性に合っているのですが、

真摯かつ誠実な接し方を誰に対してもすることで、信頼度を上げるよう努力しています。

 

「誰に対しても」という場合、学校では、主に同僚に対して注意や配慮が向けられることが多いと思いますが、

大切なのは、「生徒に対して」と「自分自身に対して」という方向性です。

 

教師は、職場で同僚以外の大人と接することは、皆無です。

同僚以外に接する対象は、生徒。しかし、ほぼ例外なく生徒への接し方は、ぞんざいになりがちです。

 

そんな中で、もし、生徒に対して誠実に振る舞うとどうなるか?

私のここ5年間の実践では、抜群の効果を上げています。

 

自己投資を徹底する

次に、最も忘れられがちなのが、

「自分に対して誠実であれ。」という観点です。

 

教師は仕事に振り回されると、自分の事が疎かになってしまいます。

しかも、誰もそれを疑問に思いません。

 

「生徒のために、私は頑張っている。」

 

この一言で、大切な自分自身の人生を片づけようとします。

 

私は今まで、こんな教師を大勢見てきました。

 

生徒への不満を、あるいはできなさ加減をぼやき続ける教師。

生徒や同僚のために身を粉にして働くけれど、何も得られていない教師。

 

言い方は悪いですが、

現状を変えるつもりがないか、懸命に働く自分に(無自覚に)酔っているか、

そのどちらかなのです。

 

私は、どちらも支持しません。

 

陳腐な表現かもしれませんが、

教師は生徒にとって身近な大人の一人なのですから、輝いていなければなりません。

教師は、ロールモデルであることをはっきりと示す必要があります。

 

ならば、もっと自己投資すべきです。

好きなことに時間とエネルギーを割き、機会を見つけて、生徒に還元すべきです。

 

「仕事になる趣味を3つ、作りなさい。」

 

という言葉がありますが、

私自身、教職をリタイアした後の人生を見据えてそのような「趣味」に取り組んでいます。

 

その「趣味」は、「仕事=金銭に換算されるもの」でなければならない。

 

そう考えています。

 

しかも、私の場合は、たとえば「宅建主任者」のように、

本業である「教師」と直接何の関係もない資格の取得を目指しているわけではありません。

 

教師という仕事の幅を広げてくれ、同時にセカンドキャリアを築くための「趣味」。

 

その人の求める方向性に沿った形で

そういった「趣味」を早い段階から模索していくことが肝心です。

 

教師を捨てれば、教師になれる

私が言いたいことは、これです。

 

教師は、学校の外を見なければなりません。

教師は、従来の教師像を捨てた方が、幸せになれます。

同時に、教師は生徒からの信頼を勝ち取らなければなりません。

 

私は、『7つの習慣』の原則を学んだことで、

自己の強みを自覚して仕事に充実感や達成感を覚えるようになり、

同時に、時間的なゆとりも手にすることができました。

 

仕事と私生活の両方を充実させることができていて、とても満足しています。

これからは、教師としてのキャリアを磨き続けながら、

セカンドキャリアも視野に入れた日々を積み重ねていこうと考えています。

 

もし、あなたがキャリア構築を考えていたら

私がこのことに気づくまでには、新採用から20年の歳月を要しました。

 

今となっては、私が成熟するためのプロセスだったと言えるかもしれませんが、

ここに至るまでの道のりは長く、

不全感を覚えながら仕事を続けることがいかにストレスフルであったのか、実感できます。

 

そもそも、教師としてのキャリア形成といった視点が、私にはありませんでした。

いや、私に限らず、

 

自身のキャリア形成を考えながら仕事をしている教師が、

いったいどれだけいるでしょうか・・・?

 

もし私が、25歳の新採用当時に、自身のキャリアを視野に入れながら仕事をしていたとしたら、

今頃こんなに悩むことはなかったんじゃないだろうかと思います。

 

もっと早い段階で、自身のキャリアを真剣に考えていれば、表面的な対処法に惑わされず、

本質を追求していれば、狭い世界から広い世界に目を転じていれば、

こんなに回り道をする必要はなかったかもしれません。

 

しかし、あなたには伝えておきたいと思います。

 

もし教師として成功したければ、

学校の価値観に染まったり、教師の思考や振舞いを手本にしたりしてはいけません。

 

その上で、キャリア形成に取り組むべきです。

 

✔現在の学校が社会と乖離している点は何か?

✔日本の子どもたちを大人にするために、何が必要か?

✔あなたの今までのキャリアは何か?

✔何歳までに、どんなスキルを身につけておきたいか?

 

上記の事柄について常に考えながら、

実現に向けた時間の使い方をすべきです。

 

私の目指す未来

もし、あなたを含めた多くの教師が成功への道を歩き始めたなら、

年齢に関係なくチャレンジ精神にあふれ、

公私ともに充実した姿で多くの生徒を魅了し、

長期的・本質的な視点で人生の課題に取り組める、

そんな大人がどの学校にも見られるようになるでしょう。

 

あなたという教師の成長が、あなた自身を輝かせ、

あなたの家族や、あなたの生徒を輝かせる。

 

教育に携わる人間が輝きを放つとき、考えられないほどの好影響を周囲にもたらす。

 

それが、私の目指すゴールです。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました